今レクチュア・コンサートを終わって帰宅したところです。今日は原稿にないことを結構話し、テンポの違いによる表現、演奏の違いを試みて皆さんの意見を聞きました。あんに相違して僕が思い込んでいる自分流のテンポとヴォルフが設定したMM=○○を比較した時、ヴォルフのテンポが良いといわれた方が多かったことに驚くと同じに、ヴォルフの偉大さを感じさせられる夕べとなりました。話と歌の大筋は下記の通りです。

 川村 英司 第11回 レクチュア・コンサート

 2004年6月18日19時

 Hugo Wolf 作曲 「イタリア歌の本」より 第1回

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:小 林 秋 恵

 

 今日はヴォルフの「イタリア歌の本」より男性の声で歌える曲について話と演奏を致します。色々な表現の仕方、すなわち詩と作曲家の創造した音楽から我々が描くイメージも種々あります。テンポにしてもどのテンポを考えるかによって、イメージが変わります。表現でも、テンポでも、絶対のものはありませんから、我々が感じたままを表現し、それが個性といわれるのです。勿論現代曲で秒まで決められているものは除きますが。それらについて話し、演奏するためには少々時間がかかりますので、今回のテーマ、「イタリア歌の本」、を急遽2回に分けることにいたしました。

 ヴォルフは1890年9月28日から作曲を始め11月14日までに7曲、1891年11月29日から12月23日15曲を書き上げて第1集として1892年にMainzのSchott社[参考資料1]より出版しました。数年遅れた1896年3月25日より第2集の作曲を始めて4月30日までに24曲を書き上げました。

 1890年9月24日付でグスタフ・シュールはUnterachからのヴォルフの手紙を受け取りましたが、その手紙の中に「私のうちにいろいろ作曲の前触れのようなものを感じ、その噴火を今か今かと待ち望んでいます。」とありました。はたしてその翌25日から「遠いところに旅立たれるそうですが」を始めとした、パウル・ハイゼの詩による「イタリア歌の本」の作曲が始まりました。

 10月2日の「この世でなによりも美しい」、翌3日に「祝福あれ、この世を創られた方に」、4日に「幸いなるかな、眼の見えない人々」が出来、5日からRinnbachへとUnterachを後にしました。その後ドイツへの大旅行に出掛け、10月28日ヴィーンの帰ってきました。

 ドイツから帰国した後ケッヒェルト家の市内の家に10日ほどいてからデーブリング(Döbling,現在のヴィーン19区)の別荘にゆき、そこで3曲イタリア歌の本のための曲が出来あがりました。「誰があなたを呼び出したの?」と「月は苦情を」の2曲を11月13日に、「さあ、もう仲直りをしよう」は11月14日に出来あがり、その後ハイゼ訳詩の作曲は約1年余中断します。

 やっと1891年11月29日に新しい圧倒的な霊感が爆発的に溢れ出し「君の魅力のすべてが」が作曲され、25日間に15曲の傑作が出来あがったが、12月23日に作曲された「あなたのお母さんが」でこの創造の火は燃え尽きてしまいました。

 この15曲に90年秋に作曲された7曲を有機的にまとめて「イタリア歌の本第1集」として1892年に出版されました。

 この歌曲集の第一曲目にヴォルフが「小さな物でも我々を魅了する」を持ってきて編集したように、その一曲一曲が珠玉のような短い、時には1ページ、殆どが2ページしかない曲によって作曲されています。

 ヴォルフはこれらの歌曲を自身のすべての作品の中で<最も独創的で、芸術的に最も完成された>作品と呼んでいます。

 ヨーゼフ・マルクスはこの歌曲集を「歌とピアノの<デュエット>」と名付けました。歌とピアノの両者の巧みな高さ、重なり合いは、そもそもヴォルフの叙情歌曲の性格ですが、この技巧は「イタリア歌の本」で洗練と巧緻の極限にまで高められました。

 この詩集はイタリア語の恋愛詩(Rispetti)などをPaul Heyseが独訳したもので初版は1860年に出版され、私はコピーでその詩集の初版[参考資料2]と、再版(1889年出版)[参考資料3]はハイゼの献呈の辞[参考資料4]のサイン入りの本を運良くHeidelbergの古本屋で見つけて所有しています。

 イタリア歌の本の成立時期のいきさつについて述べましたが、個々の歌について歌いながら話したいと思います。

 先日ピアニストのDemusさんと話したときに、彼は「ヴォルフは皮肉が鋭すぎてシューベルトのようには好きになれない!」と言っていましたが、そういわれてみると彼の皮肉が時々非常に鋭い刃物でグサッという感じの時があります。でもその鋭さに共感を覚える者として、その鋭さを楽しみながら歌うということがあるのです。しかし限度を考えないと、表現が過ぎてしまうことが起こりがちになるでしょう。

 レクチュア・コンサートの最初の時「メーリケ歌曲集」の中から歌った折に“Zur Warnung”や “Abschied” をどのようなイメージで歌うかによって表現にかなりの相違が生じることを聴き比べていただいたと思います。今回も聴き比べていただきたいと思います。

 いずれにしろ声楽曲を表現する場合個人個人が色々にイメージして演奏するわけで、そのイメージによって相違ができ、演奏の良し悪しを聴く人が、それなりの評価でするものです。しかし残念なことに日本で批評家の言に左右されやすい人がいるのは、洋楽における日本の後進性なのでしょう。発音は仮名を振って、言葉をただ棒暗記して歌われては、的確な表現は間違ってもできないと思います。前にも話したことがあると思いますが、40年程前の話ですが、二期会がヴァーグナーのオペラを始めて原語で上演した時のことです。「原語で歌うと音楽が見違えて、良く聴こえる」と日本人批評家は褒め称えましたが、ドイツ人にはどのように聴こえたのでしょうか?僕の恩師ヘッセルト先生は「ひどいです!一晩でわかった単語は二つ、三つでした。」との事であきれていました。その後に出演した友人曰く「ひどいものだよ!undを仮名振ってウントーって歌うんだから。」との事でした。つい最近も、僕には日本人が歌うのだからと、かなり割り引いて、始めから聴き、発音は悪いものとして聞いてしまいますが、ドイツ人が曰く「ドイツ語だったのですよね?!さっぱり分らなかった。」と言われました。
 最近は字幕付!と宣伝してオペラ上演をしていますが、歌い手には有難いことで、字幕に気を取られたお客さんが気を取られるのは字幕で、歌や演技には神経を集中しないで聴いてくれるのです。よく耳を澄ませて聴けば聴くに堪えない歌もあるやに思いますが、オペラを聴いたと満足してくれているのです。どこかの総理大臣のように!オペラは啓蒙時代には母国語で上演すべきというのが僕の意見ですが、聞くところによると邦人作曲家のオペラにも字幕がついているとか?言葉が聞き取れない歌を歌っても良い国は何処と何処なのでしょう。おまけに「ベルカント唱法は声のために言葉を犠牲にする」などと唱える声楽家がいるとやら。何を考えているのでしょう。言葉があっての声楽なのです。言葉が聴き取れないで歌とは言えないのです。日本語でもイタリア語でもドイツ語でも言葉をおろそかにして歌って良いと教える先生はいないと思います。正しいベルカント唱法は言葉も綺麗に発音できる唱法なのではないでしょうか。

 脱線しましたので元に戻ります。この歌の本の登場人物は1曲1曲違うとも言われます。女性にたとえるとイタリアの女優ソフィア・ローレンやジーナ・ロロブジリダに代表される性格の違う女優の演技が詩の解釈として成り立つと思います。13曲であれば13人の性格描写ができれば成功です。しかし女性より男性の方が極端な違いがないようにも思いますが、女性の立場としては如何なのでしょうか?

 

最初に歌の本の第1曲

 Auch kleine Dinge können uns entzücken から始めますが、この曲はヴォルフが最初に作曲した「イタリア歌の本」の曲ではありませんが、この「歌の本」の性格上、ヴォルフが第1曲にしたかったのでしょう。作曲したのは1891年12月9日です。

 この曲はどちらかといえば女声により適しているように感じますので、女声と二人で歌う時には必ず女声にゆずります。詩の内容から言えばどちらが歌ってもかまわないとは思いますが、「真珠で飾るのが好きでしょう」と言うのは女性の方ではないかと思いますが、男性で歌っている人もいますので歌ってみます。この曲には皮肉は必要ありません。詩のとおりに歌うというか、語るというか、どちらかと言えば語りかけるとよいと思いますが、最後のduftetを本当にバラの香りが匂うように、漂うように歌うのは結構難しいと思います。

 

 次はIhr seid die Allerschönste weit und breit この歌のような大袈裟な表現がイタリア風といえるのでしょう!大袈裟に彼女を賛美することができるのは欧米人、特にイタリア人で、日本人は照れてできないのが普通でしょう。近年の若者には苦も無く出来る事かもしれませんが。イタリア人になったつもりで歌わなければと思っています。

またその大袈裟振りを発揮するために後奏を自筆譜と初版以降[参考資料5] のどちらが良いかは演奏者のイメージの描き方ですが、僕は自筆譜の方が好きです。

 

 Gesegnet sei, durch den die Welt entstund この曲はウイットにとんだ曲でしょう。女性を口説くにはこのような言葉でといった感じです。初めはこの世の創造主を敬虔に称え、最後の最後に「創造主はこの世に美を創りたまい、おまえの顔を創られた!」と言う落ちはイタリア人ならではと思います。最後の最後まで敬虔な気持ちで創造主を褒め称えてEr schuf die の後をParadies(パラダイス)の次に何が来るのかと期待させるcresc. をしますが、SchönheitのSchを発音するまで、und dein Angeschicht. 「美とおまえの顔を」(落ち) を予感させてはいけないと思います。Subitoppにするのが結構大変ですが、如何にこの落ちを表現するかが歌い手の腕の見せ所でしょう。

 4小節歌唱部[参考資料6]fは有る無しにかかわらず当然のこと自筆譜の通りに歌いたいです。

 

 Selig ihr Blinden ヴェルバ先生の「フーゴー・ヴォルフ」に「切れ目の無いメロディーで歌唱技術の点から演奏が難しい。」と書かれているように息の長い僕でもとても難しい歌です。四つに分かれている節の終わりに4分休符があるだけの歌です。僕には呼吸法より、表現が難しく感じてしまいます。

 内気な若者が自分の気持ちを女性に打ち明けることができず、悶々として盲目な人、聴覚に障害のある人、耳の聴こえない人、口に障害を持った人、と言うよりいわゆる唖の人達をうらやましがる気持ちは分かると思いますが、おまけに最後は死んだ人を羨ましがる気持ち、その表現はとても難しいです。対訳を見ていただければ分かりますが、昔と違い訳す人もいろいろ気を使います。外国ではあまり余計な気を使わないのではないでしょうか。ヴィーンにはTaubstummengasse(聾唖通り)という道が第6区にあります。昔聾唖学校があった通りだそうです。気の使い方が違うのだと思います。本当は言い方云々より、障害のある人に対する心の接し方の問題だと思うのですが。心ある日本人が増えてほしいものです。

 

 Der Mond hat eine schwere Klag' erhoben 月が、星の中の彼女のつぶらな二つの目が見えなくなったので空に留まっていたくないと神様に訴え、嘆いている歌です。

 10小節から12小節の間のスラーが初版から抜けていますが、この曲はゲラ刷りが残っておりませんので、初版[参考資料7]の段階でヴォルフが削除したのか、見落としたのか判断できません。自筆譜[参考資料8]ではスラーが付いておりますので、僕の楽譜では自筆譜に従いました。スラーを取り除く必然性が分りませんので。

 

 Nun laß uns Frieden schließen なぜ喧嘩になったのかは分かりませんが、口を利いてくれない彼女にもうこの辺で仲直りをしようよと持ちかける歌です。国と貴族、貴族と兵隊などでも平和で手を結ぶのに我々愛する二人がどうして仲直りが出来ないのと説得するのです。女声でも歌えるでしょうが、仲直りをしようと持ちかけるのは男性の方が自然と感じるのは僕だけでしょうか?

 湖の曲もテンポで問題があります。Sanfte Bewegung.(付点四分音符 =72 )が問題です。先ず 付点四分音符= 72で始めの部分を歌ってみます。次にSanfte Bewegungの感じでメトロノームの数字にとらわれずに歌います。

 

 Daß doch gemalt all' deine Reize wären これまた大袈裟なイタリア人らしい詩ですが、ヴォルフはテンポとしてMäß ig (付点四分音符 = 40) 指示しています。勿論この指示は自筆譜には無く初版で加えられたものですが。前の曲と同様に問題になる曲です。

 付点四分音符をMM=40で歌うと、非常に大袈裟にしなければ歌いきれません。どうしても早くなり、早ければそれ程大袈裟ではなくなるように感じます。MM=40で歌っている歌手は殆どいないと思いますが、ヴォルフ指定のテンポMäß igが意味している早めのテンポとメトロノームに数字のテンポを較べて歌います。皆さんはどちらが好みでしょうか?

 自筆筆は15小節から伴奏左手の16分音符その他にアクセントがあります。アクセントは付けておいたほうがしっかり弾けて良いと思います。短い音符を強く弾くのは案外難しいようです。

 

 Hoffärtig seid Ihr, schönes Kind とりつく島が無いほどつんつかすまし、お高くとまっている彼女に遂に切れてしまった男性が言いたい事、捨て台詞を言う気持ちは分からないではありません。僕にはソフィア・ローレンがつんつかしている様が見え隠れしてしまいます。何処様のご令嬢だと言うの!と好き勝手の棄て台詞を言い馬鹿にされた嫌味を倍にして返す歌と思います。いかに嫌味を歌えるかが味噌です。対訳を良く吟味してください。

 17、18小節歌唱部[参考資料9]に自筆譜にrit. - - - a tempo とありますが、確実にrit. して a tempoに戻すことで、より嫌味が効くと思います。

 効果的に終わらせるために、初版で後奏を短く変えました。短い方がスッキリしてベターだと思います。今日は初版に書かれた後奏を移調して弾いてもらいますので、お聴き下さい。

 

 Geselle, woll'n wir uns in Kutten hülen イタリア映画でよく色気たっぷりの女性に色目を使う神父さんと言う構図があったのを記憶しているのですが、40年以上も前のことかと思いますが、皆さんにはそんな記憶はありませんか?一寸イカス女性を見れば直ぐ声をかける。イタリア人に限らないのでしょうが、世間ではそう思っている人が多いのではないでしょうか。良く年配の日本女性がイタリア旅行をし、声をかけられて「私もまんざら捨てたものではない!」と喜んでいるという話を聞いた事がありますが、女性だったら誰にでも声をかけるのがエチケットだと考えているイタリア男性は結構いるのです。お間違いの無いように!

 脱線してしまいましたが、この曲を歌う本人は結構いわゆる「悪」だと思います。「仲間よ!修道服でも着て楽しもうぜ!」と企む、「神父さん後で来てください、今パンを焼いているので・・・・・」、「神父さん後で来てください、娘が病気で寝ていますので・・・・・」と言うおかみさんと言うかおっかーと言うべきか、坊主にお布施を渡したくないおばさんをどの程度のインテリジェンスの持ち主と想定するかで曲の表現がかなり変わってくると思います。 “ O lieber Pater, du mußt spatter kommen,” と“O lieber Pater, komm nur spärter wieder ” の場合「娘が病気で・・・」と言う時と「パンが焼けてから・・・」では哀れっぽさも違えますし、そもそも追っ払うために嘘を言っているのですから、かなりいやらしくも歌えますし、つまらなくも歌えます。先述しましたDemusさんが嫌いになる演奏もかなり可能なわけです。一度歌ってからおばさんが歌う部分を歌い分けてみます。とても信心深そうな素振りであるにもかかわらず、本心は早く隣に行ってくれ、帰ってくれといった感情など、かなり色々な表現が可能です。また22小節からの、娘をだしに使ったおばはんの言葉を逆手にとって部屋に上がりこもうとするにわか坊主、「娘が病気なら最後の懺悔を聞くから、誰も邪魔をしないように戸も窓も閉めなさい!」など、僕が考えている「悪さん」の人間像を想像してください。

 

 Und willst du deinen Liebsten sterben sehen ヴェルバ先生がこの曲のメロディーをヴォルフの最も美しいメロディーと発言されたことがありましたが、ヴォルフ歌曲のDeklamationの見事さを感じることができます。

こんな口説かれ方をしたらいかがですか?かつて僕はこのようなリリックな曲を歌うのが好きでしたし、上手く歌えたと自負していたのですが、近年はリリックな歌がすっかり不得意になってしまいました。歳を取ったということでしょう。皮肉が身についたのでしょう。

 

 Heb' auf dein blondes Haupt この曲の2ページ目[参考資料10]に見られる自筆譜の書き込みのdynamikは、歌う方としては当然の事とも言えますが、あった方が分かりやすいと思いますので、僕が編集したヴォルフ歌曲選集では括弧つきで自筆楽譜にはあると注をいれました。ただし大袈裟にし過ぎないことが肝要かとも思います。大袈裟では品がなくなってしまうのではないでしょうか。

 19小節の伴奏のフレーズィングは自筆譜のほうが正しいと思います。どの段階で初版のようになったのかゲラ刷りが残っていないので不明です。第2巻はゲラ刷りが残っているので、何処でヴォルフが変えたのか明確です。判断材料になる資料は多い方が我々にはありがたいのです。

 

 Wir haben Beide lange Zeit geschwiegen この曲はNun laß uns Frieden schließenよりずーっと小さないさかいで黙ってしまっていた二人の仲を天使が舞い降りてきて仲直りさせてくれて、元に戻ったという歌です。

 

 Ein Ständchen Euch zu bringen kam ich her 折角セレナーデを歌おうと彼女の家まで出掛けて来たのに、顔を出してきたのは親父さん。 “Wohl gut, sie nicht zu streng im Haus zu hegen ” (あんまり厳しく家に閉じ込めておくのは良くないですよ!)と忠告めいて言い、また娘さんに僕の気持ちを伝えてくださいと胸の内を歌うのです。

59小節のetwas belebter と80小節の immer zurückhaltend は初版で書き込まれ、自筆譜[参考資料11]にはありません。自筆譜では82小節に sehr zurückhaltend があり、87小節に a tempo があります。従って現在の楽譜のように後奏を lebhaft に弾かなくとも良いことになります。どちらが良いのかは伴奏者の心と表現力ですが、大向こうの受けを期待しない方が良いと思います。早く弾きたくなるのは仕方ないと思いますが、よれよれにならないように気をつけなければなりません。「過ぎたるは尚及ばざるが如し」です。

歌唱部も59小節から早くする必然性をそんなに必要とは僕は思いません。etwas belebterとあるのですからetwasで良いのですが、早くしてしまう歌手は結構多いでしょう。自筆譜の通りに歌ってから、初版で歌います。

 

 イタリア歌の本第1集のMM(メトロノーム)テンポ表示は自筆譜には無く、初版の段階で加えられたものです。ヴォルフがもともとどのテンポを想定していたのか、前述のDaß doch gemalt all' deine Reizeのテンポを考える上でも、どちらを採るか差が大きくあるときには結構考えてしまいます。作曲家も時によって考え方も変わるでしょうし。詩人の詩集でも出版年月によって詩の内容すら変わります。

 

 シューマンの「詩人の恋」の時に話しましたが、ハイネの詩集“Buch der Lieder”は初版と再販ではかなりの違いがある詩があり、再販とシューマンのテキストを較べた人はシューマンが詩を変えたと主張することとなったのです。シューマンは初版の詩に作曲したのでした。全く初版の通りだったのです。ハイネの「歌の本」の初版をシューマンは友人から贈られたのでした。この詩集のサイン入りの現物 をデュッセルドルフにあるハイネ研究所が所有しています。そのようなギャップがなぜ起こったのか掘起こすことも楽しさの一部です。

 

 疑問や質問がありましたらどうぞ!又どんな曲が今後のレクチュア・コンサートのご希望かもお聞きしたいのですが、よろしくお願い致します。

2003ー4年度 レクチュアコンサート御案内